Massive flood、massive fireという環境被害の言葉もあるが、いま世界の関心事のひとつが、Massive job lossesという言葉である。世界は失業者で満ちあふれている。「家を建てたい人がたくさんいて、家を建てられる大工がたくさんいるのに、金がないから、両方とも動かない。こんなバカな話しがあるか」、と言って嘆いている人がいた。
「失業の苦しみは、失業した者にしか、わからない」
仕事熱心な人にとって、仕事が無くなるというのは、人生の喪失感につながる。自分の存在価値がゼロになったような気分になる。何をしていいのか、時間の流れが地獄のように長い。養うべき家族がいれば、なおさらに責任感に苛まれ、不甲斐ない自分に嫌気がさす。
「失業は、人生の危機なのである」
仕事が嫌いな人にとっては、「まあ、いいか」で、すみそうな話かもしれないが、それでも生活費が無くなれば、焦りがでてくる。もともと仕事熱心ではない人は、家族や友人から「経済力のないやつ」と、厳しい評価がくだされる。「他人評価などは気にせずに」、ブラジルのリオのカーニバルに踊りにでも、行ってしまうくらいなら、大物であるが、だいたいは貧すれば鈍する。そうなると、気楽な性格のいい加減な人でも、思い切りが悪くなって、飛べなくなる。
「失業は、犯罪ではないが、犯罪に近いような気分になる」
日本のニュースでは、なにか事件が起きると、かならず、名前と年齢と職業を報道する。70歳の老人であっても、「無職」なんていうふうに、報道される。無職であることが、犯罪のように、無職イコールダメなやつ、だから事件を起こすかのように、聞こえるくらいだ。まちがっても、「自由」とは言わない。「就職活動中」とも言わないし、「勉強中」とか「修行中」とも言わない。あれは、いったい誰が決めた放送ルールなのだろうか。
「グローバル社会では、出稼ぎが多い」
世はMassive job lossesの状況にある。地元を離れて、出稼ぎに出るのは、日本でも、中国でも同じだ。最近では、スペインやギリシャの若者は、景気のいい南米や豪州に出稼ぎに行っている。ソ連崩壊で生じた混乱時には、旧ソ連から独立した中央アジア諸国から、多くの若者が欧米露に出稼ぎに行ったが、いまでも続いている。結果、欧米露には多くのアルメニア人やアフガニスタン人あるいはタジキスタン人が住んでおり、数千万人レベルである。
「成功者もいれば、失敗者もいる」
シリコンバレーで成功したアルメニア人もいる。ドイツで暮らすアフガニスタン人もいる。かつてハリウッドの刑事ドラマでは、黒人やアジア人による事件がメインだったが、いまやロシア人やアルメニア人によるdigital mafia的なドラマに変わった。ボストンマラソンの爆破事件の犯人は、ダゲスタン出身の若者だった。祖国を去ることの負の側面だが、出稼ぎに疲れ、失敗した若者は、祖国に帰り、しばらく心をいやす。帰る祖国もなく、帰ったら追い打ちをかけられるような祖国では、羽を休めるところがない。Massive job lossesは、そのままmassive life lossesにつながってしまう。
「沖縄は、失業したら、どうするのか」
そういう質問を、沖縄県知事に話したら、「みんな、東京に行くさ」と言っていた。いっぺんに沖縄が好きになった。失業が気楽に考えられる?・・・場所柄もあるのだ。まあ、程度によるのであろうが、「なんくるなるさ」がいい。もっといえば、田舎の場合、東京モデルの成功事例ではなくて、田舎モデルの成功例もあってもいいのではないか。仕事はみんなでシェアしようよ、なんていうふうに。金儲けは、人生のすべてじゃないのだから。Massive job shareという発想があってもいい。