日別アーカイブ: 2013/10/24

Economic Hierarchy

 Economic hierarchyという言葉は、いまさらに、ことさらに、言わなくても、マルクス、ウェーバー、ミル、マズローが示したように、経済格差と社会格差と精神的格差の連動は、いわずもがな、である。だが、ふたたび、この言葉が話題になるほどに、世界の経済格差は広がっている。インターネットで世界の状況をちょっと調べてみれば、「あー、オレはだいたい、このくらいのクラスだな」と、どのクラスに所属しているか、すぐにわかる。つまり、経済社会における不平等は、グローバル社会では、matter of courseということなのだ。だから、少しでもピラミッドの上に行こうと、世界中の人が経済競争に汗を流している。

「どのあたりの格差まで、我慢できるか」

ルイ13世が呑めなくても、ヘネシーXOが呑めなくても、キリンラガーが呑めればいいじゃないか、と思う。セブンアイの発泡酒であっても文句はない。

自邸にゴルフ場がなくても、湖がなくても、鯉が泳ぐ池があれば、いいじゃないか、と思う。小さな水槽の中の金魚でも文句はない。

ポルシェが買えなくても、ベンツを持てなくても、プリウスを運転できればいいじゃないか、と思う。400ccくらいのバイクでも、コルナゴのチャリでもいいじゃないか、と思う。

つまり、それくらいの格差は許容範囲だ。およその人は、食べていければ満足だ、と思っている。

「50階の窓から眺めている人の神経って」

オリンピック開催に向けた住宅販売が盛んだか、高層マンションからの眺めは、すばらしい、らしい。物件を見に訪れた4人家族、「ここからなら、オリンピック会場にも近いし、お手頃」と、女子大生くらいの子が言っていた。そんなテレビ番組を見ていた、中華料理店の店主は、「こういう人は、仮設住宅の人の生活は、想像もできないだろう」と、ぶつぶつ言っていた。見える景色がちがうのである。

「理解できないのである」

first classが当たり前の人にとって、economy classのことは眼中にない、というより目に入らない。存在に気がつかない。数千万円の宝石を買う人にとっては、30万円の指輪はおもちゃである。5千ドルのスーツを仕立てる人にとっては、数万円のスーツは作業着にしか見えない。ハーバード大学からみれば、早稲田慶応は予備校くらいの感覚だろう。大企業の投資といえば、少なくても100億円だが、中小企業にとっては1億円レベルでも大騒ぎである。economic classごとに大騒ぎするレベルが違う。まるで異次元世界である。

「悪気はないのだが」

酒でも、肉でも、「おいしいね」の基準が違うのだ。ヘネシーXOが標準の人にとって、ワンカップ大関を大切にすする人の気持ちは理解できないし、ミシュラン3つ星以上が当たり前の人にとって、ファミレスの料理は・・・であろう。だから、ファミレスのバイト君が冷蔵庫に入った事件をみても、「ふーん」くらいのものである。それほどに経済格差によって、物事の価値基準がちがうので、自分の所属するクラス以外には関心が薄い、というより接点がない。そういうふうになっていくことで、Mind hierarchyの拡大していくことは、かなり危険なことではないだろうか。