日別アーカイブ: 2013/10/19

Civic Engagement

Civic engagementという言葉がある。普通の若者が、世界のあちこちを見て、発言し、影響を与えている。彼らは、法制度も税制も勉強したわけではないが、原発の専門家ではないが、道路行政を考えた事もないが、「なんだか、これでは駄目なんじゃないの」と直感しているようだ。

「世界をみている若者の目」

イギリスの田舎には、ほとんど信号がなく、代わりのランドアバウト、というのをみて、これならばエネルギーを節約できるのではないか、とみる。フランスとかイタリアのにぎわう市場をみて、これなら、商店街がつぶれないかも、とみる。そこにはいつも、利害にそまっていない、ストレートな目線がある。

「なんで、借金が1000兆円なの」

若者たちは詳細を勉強したわけではないが、日本の借金を聞いて、「なんか、やばいんじゃないの」と感じる。人口減少だと、これまでの経済システムを変えざるを得ないのではないのか、と推測する。

「タックスヘブンって、インチキじゃん」

若者たちは、国際法も刑法も勉強していないが、一部のrich peopleとbig companyだけが、許される世界というのは、おかしな治外法権ってことなのか、と感じとる。シャドーバンクについて勉強していなくても、「なんだ、経済ってギャンプルじゃない」と、パッと認識できる柔軟な頭をもつ。

「しかし、minor voiceである」

若者のfundamental doubtも、就職すれば、忘却される。仕事の勉強ばかりになる。証券を売るとか、市場シェアをのばすとか、会計処理するとか、契約書をつくるとか、いつの間にか、部分観に拘泥する日々、生活の奴隷に落ちる。会社にしがみつく精神構造は、健康的な批判精神を萎えさせる。

「これだから、市民社会はむずかしい」

しかし、Economic weaponの力も、military weaponの力も、結局、なにも変えられない、ということは、20世紀が証明済みである。2つの力による解決方法には、もう限界はみえた。むしろ、メリットよりデメリットのほうが大きい。20世紀から21世紀初頭で、いやというほど暴力を味わった。まだ続いている。ヒロシマとナガサキの庶民数十万人を焼き殺した核爆弾は、在庫量が増え続けている。

「つまり、権力側からのチェンジはむずかしい」

国家レベルの問題と憎悪の連鎖は、一般市民を巻き込むwar on terrorを生み出した。アメリカでは電車に乗るのさえ「怖い」と感じるときがある、という。普通の市民が、suicide bombを心配する日々は、異常事態だ。国レベルの対応は、街や地下鉄のあちらこちらに、カメラを設置する監視防犯システムである。しかし、それでは真の解決にはほど遠い。もっとダイナミックなcivic networkによるcivic collaborationが必要な時代である。