米国市民のなかにも、アサンジやスノーデンを支持する声が多い。国法を犯した人たちを支持するという背景には、法律自体がおかしい、あるいは法律の活用がおかしい、つまり「litigation violenceなのではないか」という声がある。
法律にも光と影があるのか。システム自体の闇が表に出てきているのか。アメリカは法治国家であり、More or less fair system of law enforcement。法律もまた、権力構造のなかのひとつである以上、力関係が及んでいるというのは、matter of course。だから、詩人は法律が嫌いだ。
「法律と犯罪はいたちごっこ」
企業でもコンプライアンスの大合唱。アメリカの法律モデルの輸入である。規則違反者をびしびしやりはじめた。いいことだろう。結果、ますます企業犯罪が増えた。「法律さえ守ればいいのだろう」というレベルに精神が劣化した。Moral transformation。
「ガキンチョの社会」
小賢しい子供のように、法律を盾にとる人が増えた。むかしは、法律を守るのは当たり前のことで、意識にもあがらなかった。むしろ、もっと高いmoral controlが効いていた、気がする。「嘘はどろぼうの始まり」、「年寄りを大切に」していた、気がする。大人の社会があった、気がする。
「結局、法律至上主義モデルの社会は、ハイコスト」
アメリカには輸出できるほどに弁護士がいる。だいたい、弁護士は嫌われている。正義の味方でもなく、法の番人でもなく、法を利用して儲ける人たち、という風に見えるからだ。係争が頻繁にある。勝負は弁護士の力量次第。Litigationに勝てる弁護士を使わなければいけない。
日本の大企業は、全米ベスト3までのlaw firmを使っている。日本の弁護士では国際的な係争に勝てない。この差は小さくない。つまり、法も金だ。マクドナルドコーヒー訴訟や、OJシンプソン訴訟をみると、「なんかおかしいな」と、誰もが思う。米国のlegal frameworkはしっかりしているものの、金がかかる。陪審員制度の悪用。素人に任せるやり方、日本も突然に取り入れた。
「法律が時代についていけない」
ネット犯罪が進み、警察の捜査が追いつかない。犯罪者が警察をおちょくる事態になっている。犯罪も国際化が進み、企業や個人の情報を盗んだり、公的機関へのハッキングがあったり、ハッカーは世界どこからでも押し寄せて、国法を超えている。金融の世界でも、格付けは詐欺か否か、タックスへブンは脱税か否か、ヘッジファンドは金融規制の対象か否か、法律がついていけない事態に陥っている。Law makerの先を行く、new violenceの時代になっている。