「アラブは遠い世界か」
G20では、シリアのchemical weapon論議がメインになっていた。日本人にとってアラブは、距離的にも精神的にも、遠い地だ。だからイメージがわきにくい。ニュースで「アラブの春」をみて、どういう春なのか、よくわからない。しかし、Arab leagueの平和なくして、世界の平和はない、といわれている。
Military weaponによる殺戮のなかで、Chemical weaponが使われて、暴力の化学反応が起きている。カダフィが殺され、ムバラクが逮捕され、アラブの春といわれたのも束の間、Arab streetは迷走しはじめた。そして、Arab leagueに火がついた。暴力の応酬の連鎖は、ケミカルウェポンにまで達した。
「子供たちの犠牲」
エジプト軍は庶民に向けて発砲し、6百人が死んだ。シリアでは、国連調査団が派遣されている最中に、化学兵器が使われ、4百人の子供が犠牲になった。母親も父親も涙を流していた。国から逃げた難民、2百万人が不自由な暮らしをしている。「テントも、水も、食料も、なにもないの」と、母親が訴えていた。そもそも、あの辺りはどういう場所か。
「もともと、シリアやヨルダン、イスラエル、エジプト、トルコ、イラン、イラク、あのあたりは、ごっつ、いい所やでえ」
Historically speaking、世界初、人類初の人間塑像は、ヨルダンのアンマン城跡にひっそりと安置されている。それは、ひとつの体に二つの頭をもつ、兄弟像だ。兄弟愛を示したかったのだろうか。ヨルダンとイスラエル国境を流れるヨルダン川はキリスト洗礼の地だ。チョロチョロ流れる小川の向こう側には、イスラエル国旗がはためき、ヨルダン側には軍人が立っている。インディ―ジョーンズの舞台となったペトラ宮殿は、ローマの影響を受けたナバタイ人がつくったものだという。ヨルダンには、世界一流レベルの病院があり、欧州からも治療旅行にくる。
「死海はぷかぷか、よく浮く。塩がきつくて、目に入ると痛い。あの塩石けんは、世界の名産だ」
ヨルダンと国境を接するシリア、ちょっとした関所というか、ドライブインというか。そして、シリアの首都ダマスカス、ダマスカスとは、「兄弟の地」という意味で、カインとアベルの街という由来である。私が訪問したころ、ダマスカスには、イラクやパレスチナの難民がたくさん押し寄せていた。本来、寛容な街なのだ。
ダマスカスの博物館には、世界最古のアルファベットの粘土板がある。紀元前1600年頃、ここに住んでいたガリット人がアルファベットを発明し、遊牧民のフェニキア人が普及させた。シリアは、エジプト、トルコ、イラクと近接しているのだから、さもあらん。
「みんな、歌が大好き、踊りも大好き」
シリアのボスラの円形劇場は、世界で一番きれいに保存されている劇場で、スペインの歌手フリオ・イグレシアスが「黒い瞳のナタリー」を唄った。日本の北島三郎も「へいへい、ほー」と、歌った。ついでも私も歌った。パルミラのアラブ城跡からの夕日は、遠く美しく、砂の層に消えていく。
「Arab streetは、言葉と歌、多くの民族が交流した道」である。アルメニアやグルジアあるいはトルコ経由でローマやギリシャ文明も混じり、マケドニアのアレキサンダーが活躍し、イランやアゼルバイジャン経由でペルシャ文明が和して、シンドバッドが活躍し、ウズベキスタンやカザフスタンともつながり、ジンギスカンを思い出させ、モンゴルや中国そして韓国朝鮮を経由して、ようやく日本につながるわけだ。メジャーリーグもいいけれど、Arab leagueにもご関心を。