カテゴリー別アーカイブ: 前野拓道 Blog

De-Americanization Model

「グローバリゼーションといっても、American modelだ」

世界の人たちはそう思っている。アメリカは、金と武力で世界ナンバーワン。かつてのライバル、ソ連パワーは今はない。トップは自分の好きなように世界を変えるものだ。ドルを刷りまくり、世界に基軸通貨として流している。一定の米国債を外貨準備として買うように規制している。World bankもIMFも米国が牛耳っている。

「Because we are Americaという発想」

強者の論理。大企業と中小企業、男と女、大人と子供、そして大国と小国。強者は弱者を守るもの、ではなくて、グローバル社会に広がるパワハラ。パワーポリティクスとは、相手からみれば、パワハラに見える。ハードパワーからソフトパワーへの転換、という発想も、出ては消え、消えては出てくる。硬軟ミックスのパワーである。ローマ帝国時代から力のあるものが世界の仕組みを決めるのが、世界のこれまでのやり方。

「アメリカモデルといえば、自由と競争」

自由の女神はフランスからの贈り物、アメリカの自由の象徴。アメリカは、イギリスの圧政から逃れた人たちが、たどり着いた自由の大陸だ。Discover America。いまでも世界中から、アメリカに自由を求めてやってくる。インド人も、アルメニア人も、ロシア人も、中国人も、それぞれ百万人以上が、移民している。人種のるつぼだ。

「アメリカモデルには、光と陰がいつもある」

アメリカの創業者、ワシントンたちは、原住民のインディアンをせん滅しようと、殺し、囲い、追い出した。暗い過去である。ゴッドファーザーのマーロンブランドはインディアンを支援しつづけた。アメリカモデルは当初から今日まで、いつも光と影がある。奴隷制度しかり、ベトナム戦争しかり、イラク攻撃しかり、サブプライムローン破綻しかり、アメリカモデルのメリットとデメリットも、世界にそのまま波及した。

「アメリカのメリットに注目するか、デメリットに目が向くか」

メリットに注目すれば、プロアメリカになるし、日本は特にそうだ。いっそのこと、アメリカの州になって、ジャパン州でいいじゃないか、なんていう人もいるくらいだ。他方、デメリットに気が向けば、de-Americanization。どちらであっても一辺倒に傾くのは危うい。アメリカとて迷走する時代だ。どちらか一つの道ではない時代になっている。これからは、Co-Americanであって、de-Americanizationであってもいいのだろう。

War on Terror

「Escalate violenceである」

20世紀以来の暴力思考が止まらない。イスラエルとパレスチナの関係は悪くなるばかり。武器もテクノロジーも変化している。オバマは、イラクでのブッシュの失敗に懲りたのか、アフガンでの兵隊の死に悔いたのか、無人爆撃機ドローンを使っている。遠隔操作による攻撃である。

「ドローンはやめてくれ」

パキスタンの議員が「ドローンはやめてくれ」と言っている。誤爆によって、テロとは無縁の一般人が死んでいるからだ。他方、ドローンを遠隔操作して、勲章をもらった元米兵は、1600人も殺した重圧に、苦しんでいる心情を吐露していた。兵器は進化するが、人間のこころは止まったままである。デジタル的な攻撃に、むしろemotional degreeが高まり血圧があがる。

「自爆という選択」

Suicide bombが世界の人々を恐怖に陥れている。「あれは、日本の発明、特攻じゃないか」と、いう人もいる。ちなみに「Oyako-sinjuu、親子心中」も日本独特といわれており、「米兵に辱められることを恐れた母が、娘を殺害し、母は自殺した、他殺と自殺の手法」と、米国の刑事ドラマで説明されていた。

核爆弾の廃棄が進まず、むしろプルトニウムがこっそり流出してしまう時代になった。数キロのプルトニウムがあれば、原爆がつくれてしまう。高校生がネット情報を参考にすれば工作できる、という凶器と狂気が合体した時代になっている。

「おっそろしいなあ、人間って」

犬や猫や狸や豚が、集まって、人間というのは恐ろしい動物だ。何をするかわからない動物だ、「人間みたいになったら、いけないよ」と、注意しあっているらしい。森林を裸にし、山を壊し、空気を汚し、川を汚し、海にゴミを捨て、「いい加減にしてくれよ」と、スズメもクジラも、カモメのジョナサンもいっている。

「war on terror、war on human、ワーワーワー、ワンワン、ニャンニャン、ブーブー」と、動物たちの大合唱。そのうち、動物センサーで、彼らの意見が聞くことができるらしいが、war on animal、人間への批判で世界がうるさくなる、かもしれない。ミッキーも、カンフーパンダも、101匹わんちゃんも、人間へのクレームの大合唱。

Arab League

「アラブは遠い世界か」

G20では、シリアのchemical weapon論議がメインになっていた。日本人にとってアラブは、距離的にも精神的にも、遠い地だ。だからイメージがわきにくい。ニュースで「アラブの春」をみて、どういう春なのか、よくわからない。しかし、Arab leagueの平和なくして、世界の平和はない、といわれている。

Military weaponによる殺戮のなかで、Chemical weaponが使われて、暴力の化学反応が起きている。カダフィが殺され、ムバラクが逮捕され、アラブの春といわれたのも束の間、Arab streetは迷走しはじめた。そして、Arab leagueに火がついた。暴力の応酬の連鎖は、ケミカルウェポンにまで達した。

「子供たちの犠牲」

エジプト軍は庶民に向けて発砲し、6百人が死んだ。シリアでは、国連調査団が派遣されている最中に、化学兵器が使われ、4百人の子供が犠牲になった。母親も父親も涙を流していた。国から逃げた難民、2百万人が不自由な暮らしをしている。「テントも、水も、食料も、なにもないの」と、母親が訴えていた。そもそも、あの辺りはどういう場所か。

「もともと、シリアやヨルダン、イスラエル、エジプト、トルコ、イラン、イラク、あのあたりは、ごっつ、いい所やでえ」

Historically speaking、世界初、人類初の人間塑像は、ヨルダンのアンマン城跡にひっそりと安置されている。それは、ひとつの体に二つの頭をもつ、兄弟像だ。兄弟愛を示したかったのだろうか。ヨルダンとイスラエル国境を流れるヨルダン川はキリスト洗礼の地だ。チョロチョロ流れる小川の向こう側には、イスラエル国旗がはためき、ヨルダン側には軍人が立っている。インディ―ジョーンズの舞台となったペトラ宮殿は、ローマの影響を受けたナバタイ人がつくったものだという。ヨルダンには、世界一流レベルの病院があり、欧州からも治療旅行にくる。

「死海はぷかぷか、よく浮く。塩がきつくて、目に入ると痛い。あの塩石けんは、世界の名産だ」

ヨルダンと国境を接するシリア、ちょっとした関所というか、ドライブインというか。そして、シリアの首都ダマスカス、ダマスカスとは、「兄弟の地」という意味で、カインとアベルの街という由来である。私が訪問したころ、ダマスカスには、イラクやパレスチナの難民がたくさん押し寄せていた。本来、寛容な街なのだ。

ダマスカスの博物館には、世界最古のアルファベットの粘土板がある。紀元前1600年頃、ここに住んでいたガリット人がアルファベットを発明し、遊牧民のフェニキア人が普及させた。シリアは、エジプト、トルコ、イラクと近接しているのだから、さもあらん。

「みんな、歌が大好き、踊りも大好き」

シリアのボスラの円形劇場は、世界で一番きれいに保存されている劇場で、スペインの歌手フリオ・イグレシアスが「黒い瞳のナタリー」を唄った。日本の北島三郎も「へいへい、ほー」と、歌った。ついでも私も歌った。パルミラのアラブ城跡からの夕日は、遠く美しく、砂の層に消えていく。

「Arab streetは、言葉と歌、多くの民族が交流した道」である。アルメニアやグルジアあるいはトルコ経由でローマやギリシャ文明も混じり、マケドニアのアレキサンダーが活躍し、イランやアゼルバイジャン経由でペルシャ文明が和して、シンドバッドが活躍し、ウズベキスタンやカザフスタンともつながり、ジンギスカンを思い出させ、モンゴルや中国そして韓国朝鮮を経由して、ようやく日本につながるわけだ。メジャーリーグもいいけれど、Arab leagueにもご関心を。

B World For Global Elites

グローバル社会では、兆の単位、Billion dollarが飛び交っている。気を大きくして、ビリオンの感じをつかむ。ふうーむ、実体経済80兆ドル、金融経済160兆ドル・・・・。えーと、世界人口の60億人で割ると、一人当たりは2百万円くらいになるか・・・。ピンとこないものだ。

G20の国のGDPを合計してみると、60兆ドルくらいになる。世界経済の8割である。そのうち、米国が3割くらいを占めていて、中国が2割にはまだ少しばかり足りなくくらい。つまり、米中で半分くらいになる。

「この際、ビリオンダラーの世界、Bワールドに慣れておいたほうがいい」

アップルの時価総額はおよそ500Bドルだ。世界の巨大企業の売り上げはいずれも100Bドルを超えている。ユニクロも売り上げ100Bを目指している。こころみに、世界全体のGDP額の80000Bを500社で割ってみると、およそ100Bだ。

石油の世界輸入額の総計は3000Bドルである。日本の年間予算はおよそ80兆円すなわち800Bドルだ。世界の証券取引所の資産はどれくらいだろうか。東京証券市場は5000B前後で推移している。

「私、グローバルエリートになりたい」

Bワールドを動かす、グローバルエリートを目指すなら、せめてハーバードくらいには行かないといけない。MITか、スタンフォードでもいいが、ともかく、世界的大企業のDIRECTORくらいにはなって、年収30Mドルくらいは稼ぎたい。さらには、アラブの王様か、エリザベスか、ローマ法王の資産運用担当者にでもなれば、その倍くらいはもらえるかもしれない。まだ、代々木に、ハーバード予備校ができた、という話は聞かないが、そういうニーズの時代になった。

Shadow Bank

世界中にお金はいったい、いくらあるのだろうか。実体経済はおよそ80兆ドル。金融経済は2倍の160兆ドルくらいになっている。金融経済ワールドでは、デリバティブスという名前のついた、ギャンブルが日夜行われている。掛け率は80倍くらいまでokだったが、万馬券はまずいのか、30倍くらいまでに是正?されつつある。

タックスヘブンの口座にはどれくらいの金が集まっているのか。数年前のデータでは、8兆ドルだったが、年間8000億ドルくらいの増加率というので、今頃は20兆ドルくらいだろう。おひとり1兆円で分けたなら、2000人分だ。おひとり100億円ずつ分ければ、20万人分に相当する。

金融の街、ロンドンにはカジノがたくさんある。あちこちの会員になって、はしごする。それはラスベガスのような巨大なスペースとはちがう。大人の社交場的な風情だ。カジノでは、ちょっとした軽食とドリンクはフリーだから、カジノの上のアパートは独身者に人気がある。

「教育の必須項目はギャンプル」

シャドーバンク時代になった以上、これからの教育方針は、「きみこそ、一流のギャンブラーだ」を目指すことが正しい、という理屈が成り立つ。Shadow bankがデファクトな世界標準になったということは、そういうことだ。人生も社会もギャンブル、ということだ。

On The Wire

アサンジやスノーデンの活躍でわかったことは、world on the wireの表と裏であった。スマホの通話は盗聴され、GPSで位置情報は、水もれ状態、監視カメラがあちらこちらに設置され、顔認識で社会番号から年収までデータが読まれている。テロリスト容疑者だけの話ではない。一般市民も政府は監視していた。そして、アサンジは逮捕され、スノーデンは亡命した。

「あなたは監視されている」

個人情報は、警察とつながり、病院とつながり、権力者とつながっているのだ。知らないうちに、権力者と一般市民はスマトモだ。ジョージ・オーウェルの「1984年」の世界が、現実になろうとしている。ソ連時代、東欧圏の人たちは、川沿いに手作りの別荘をつくったが、そこだけがoff-wireの世界、秘密警察から逃れる場所であった。

「いったい、俺を売ったのは誰だったのか」

東西の壁がなくなって、情報公開されたとき、知った恐ろしい現実。妻や子供が、夫や父親を当局に、政治犯として訴えていたことが、つぎつぎに判明した。裏切り者は、いちばん身近なところにいた。愛する者に裏切られたことに、人間不信が渦巻いた。これが、東西の壁が破壊されたあとの、東欧圏の現実であった。こういう体験をすれば、まして、他人との信頼など、ありえない、と考えたくもなる。いま米国で、個人情報を削除する、off the wireのサービスが繁盛しはじめている。

Psychological Era

「こころがタフでなければ、生きていけない時代」

2020年のオリンピックが、東京に決定して喜んでいる人が多い一方で、東京では、だいたい毎日、電車に飛び込む人がいる。日本全体で毎日100人くらいが自殺しているわけだが、計算してみると、100才まで生きている間に、同世代が300万人も自殺する現実がある。原因は様々であろうが、死ぬほどのストレスがかかっているわけで、ストレス過多の時代といえる。統計データでは、自殺率の高い順に、韓国、リトアニア、カザフスタン、ベラルーシ、そして日本、ロシアとつづく。

「世界は心理戦」

孫子の兵法は世界中の人が学んでいる。攻撃は最大の防御。ビジネスおける攻撃とは、先に提案することだ。提案することで、相手の反応が見えてくる。予想外の提案は、相手を驚かす。提案に次ぐ提案、先手必勝を狙う。質問には質問で返す。脅してみたり、すかしてみたり、carrot and stick、アメとムチ。チーズの奪い合い。

「最近はアメもチーズも少ない」

「チーズはどこへ消えた」どころか、いまどきは、チーズがまわってこない時代になっている。若者の多くは、安い給料でこき使われ、それでも、失業したくないから会社にしがみつく。ブラック企業が増える背景である。仕事が終わって、軽く一杯やりたいが、金もないし、本音を話す友がいない。やれやれ、心のオアシスである家に帰れば、そこは砂漠、かもしれない。

「excessive worriesは禁物」

心配事が増えると、神経がやられる。震災や洪水に遭遇した人たちの心配はいかばかりか。こころは、いつも変化の連続、奥深くて、謎だらけ。文豪も、詩人も、こころに迫ることが奥義。Psychological eraにおいては、政治家にも、ビジネスマンにも、emotional careが求められている。

Other People’s Problem

「困っているんだ、助けておくれよ」

世の中には、「他人の不幸は蜜の味」という言葉もあれば、「対岸の火」という言葉もある。他人のことなど、知ったことではないのだ。他人の不幸からは、「前輪の轍」として学ぶことはあっても、誰も助けてくれない。しかし、

「お前の悲しみは俺の悲しみだ」

関東大震災が起きた時、遠くアルゼンチンから援助物資が船に満載されて届いたことがあった。辛いときに、手を差し伸べてくれた人の恩は忘れがたい。日系人の努力の賜物である。

グローバル時代の今日、other people’s problemという言葉が、危険性をおびたように、反省を促すように、使われ始めている。どこかのlocal problemは、かならずglobal problemになる。対岸の火ではないのだ。Care of othersが少なくなった社会において、care for each otherの価値は大きい。

Gandhi Legacy

インドに変わった爺さんがいた。裸で歩いていた。貴族出身らしいが、裸同然の布切れ一枚をまとっている。ちゃんと食べていないのか、ずいぶんに痩せている。聞けば、ときどき断食をするらしい。裸の爺さんが歩くと、後ろからたくさんのインド人がついていく。ぞろぞろ、暇なのか、インド人の長い行列が、ひとりの爺さんの後ろにつづく。

「どこへ行くの」
「海まで行く」

イギリス人が、インドの塩を専売していて、値段をつりあげた。イギリス人には、ふところをあたためることが目的だが、インド人にとっては食生活の問題であり、プライドの問題であった。ガンジーはイギリス人に対して、声高に反対しない。ただ、海まで歩きはじめた。海までたどり着くまでに、何万人ものインド人が列に加わった。そしてさらに、海水をくみあげて、塩づくりを始めた。

「ここはインドの海だ。インド人が自分で塩を作って、何か悪いか」

これが史上有名な、ガンジーの「塩の道」。
ガンジーはいつも一人で立ち上がる。しかも、暴力を使わない。「どうして、イギリス人をやっつけないのか」、「暴力はだめだよ。だって、鉄砲で撃たれちゃうじゃないのさ」。

一人の裸の爺さんの、にこにこと笑顔をつくりながらの戦いは、やがて世界に感動を与え、イギリス国民をさえ動かした。地政学の世界では、いまでもGandhi legacyはキーワードになっている。インドの進む道には、パワーポリティクスとは違う次元が期待されているようだ。

Healthy Skepticism

フランス生まれのミシェル・フーコーが、批判精神こそ、権力に服従しない知性であり、自立に不可欠のものだ、と言っている。自立できない人間は、子供のままであり、他人の言いなりになる。こういう他人依存の人間が多い社会は、危険である、というのだ。

ブエノスアイレスのIOC総会で、安倍首相が、フクシマは「the situation is under control」とスピーチして、見事に東京が開催地となったが、「コントロールできないじゃないの、安倍、嘘つき」と、東電の専門家や知識人、そして福島の現地住民から、「wrong(ちがう)」「wrong」「wrong」のブーイングが起きた。これは、healthy skepticismだ。

東電の社長は、「首相と同じ」と答えたが、深読みすれば、「首相はwrongかもしれないが、立場上、首相と同じである、ということにする」ということである。これは不健康である。優秀な人の顔というのは、それなりの知性が見えるが、天才の顔はバカに見えることもある。東電の社長の顔を見ていると、三流芝居を打てる人物のように見受けられる。だが、それはやはり不健康である。真の天才は相手にあわせているわけではないからだ。

healthy skepticismは、リスクマネジメントの大切な要件だと思う。「なにか、おかしいな」、「どうも、ひっかかるな」と、心のどこかで感じたら、それは、naturalで、healthyな、直感的な知性であり、そこを追求する事で、危険のありかを明らかにすることができる一方、「まあ、いいか」と妥協したり、せこく立ち回って誤摩化したりすれば、大きな事故につながる。もっとも大きな事故とは、自分の頭が不健康になることである。