Demographic Card

「ChinaとIndia、あわせてChindiaと呼ばれている」

中国とインドには共通したカードがある。それがDemographic cardだ。人口パワー。2つ合わせると、25億人くらいになる。多数決の民主主義の時代、数は力だ。インドは、中国とともに、multi-polarのひとつであり、中国とインドをあわせて、Chindiaと呼ばれて、この2国は、two Asian giantsと、みなされている。しかし、インドのポジションは、アメリカとも中国とも、少々異なる。

「インドは、カレーの香りよ」

International sceneでの、インドの印象は違う。米中のようなマイナスイメージはないようだ。むしろGandhi legacy、international respectが残っている、ような気がする。日本においても、古くは仏教誕生の地としてリスペクトされ、近くは戦後のパル判事の国際的感覚への尊敬の念がある。ガンジースマイル、穏健で非暴力でありながら、じっくりと長い時間軸ですすむ。米中とは異なるsense of timeが感じられる。悠久なガンジスの流れに身を浸すおかげだろうか。シャワーでぱっぱとやる日常とは違う。

「食べるものが違うから、性格も違う」

もしや、食文化の違いか。インド人の多くはベジタリアンだ。牛を食べない。牛は神様なのだ。のんびりと道をのそのそ歩く牛が、インドにはたくさんいる。もしも、牛に生まれるなら、インドに限る。血の滴るビーフをたべるアメリカ人、ポークを詰め込んだソーセージにビールのドイツ人、テーブルまで食べるといわれるほどに、多彩な食通の中国人、multi-polarの国のなかで、インドの食文化はかなり違う。

「話せばわかる、安心感が、ある人とない人、の差は大きい」

アメリカ人も中国人も、自己主張が強い環境に生きているから、議論好きだと思えば、どうということはないが、それが裏目に出ると、一方的な話し振りに聞こえることがある。その点、日本人は、相手の話に耳を傾ける傾向にあるが、キレると問答無用の上位下達になるきらいがあり、特に年寄りは頑なで、偏屈だ。

「その点、インド人は巻いている」

インド人の英語は、巻き舌でわかりにくい、という人が多いが、なれてくると、あれはあれで、耳に心地がいいリズム感だ、という人もいる。おそらく、インド人には、「話せばわかる」的な安心感があるのだろう。それは非暴力の勝利の歴史、ガンジー効果である。日本の神風、特攻隊的な精神風土とは180度違う。

実際面において、イギリスの植民地に甘んじたインド人は、英語が流暢だ。あの巻き舌は、いえば、クイーンズイングリッシュの流派だ。イギリスにもアメリカにも多くのインド人が住んでいる。数百万人オーダーだ。ちなみに日本には2万人くらいのインド人が住んでいる。シリコンバレーでのインド人の活躍は見事だ。数学的天才ぶりは、ゼロを発見した民族のDNAか。その後のバンガロールの発展にもつながり、いまでも続いている。インド人のVantage positionだ。

「でも、カースト制度は時代遅れなんじゃないの」

一歩、インド国内に入れば、十いくつの民族がおり、二十以上の言語を話す多民族国家だ。地域によって、type of cultureもforms of behaviorも違う。ニューデリーなどの北側と、チェンナイのような南側では、風情がまったく違う。法律もnational lawよりもstate lawのほうが強い。カーストシステムの残存は、中国同様、国がひとつにまとまるような話ではないのかもしれない。ガンジーもそれで撃たれた。absence of minority voicesの懸念は、インドにもゼロじゃない。